

吉田 健太郎 著「プラセンタ療法と綜合医学」より抜粋
「メルスモン」とは別なルートで、日本に「胎盤療法」を紹介したのが、稗田憲太郎博士 医学・農学博士)でした。稗田博士は戦前・戦中と、満州国(中国東北部)の満州医科大学で教授を務めていましたが、日本の敗戦後も同地に留まり、 1953年に帰国するまでの8年間、中国の八路軍に参加し、負傷した軍人の治療にあたりました。
この間、旧ソ連の病理学者プランスキー博士の著書神経病理学』にヒントを得て、埋没療法を実践し、著しい効果を得ています。幸か不幸か、 戦時中ということもあり、傷ついた軍人がたくさんいたので、 多数の“人体実験”が可能でした。軍人の傷を治すために、患部の組織に、 牛の脳下垂体や角膜、肝臓、胎盤などいろいろなものを埋没した中で、胎盤が一番、治療効果の高いことを確認したのです。
稗田博士は帰国後、久留米大学病理学研究室の教授と医学部長を兼任し、胎盤の埋没療法が最も効果を示したという 中国での経験から、胎盤の研究に取り組み、その結果、胎盤からエキスを抽出して注射液にするというかたちに結実させます。
1959年、この注射液をラエンネック」と命名し、厚生省(現・厚生労働省)から“肝硬変”の医薬品として認可を受けます
(後年、肝硬変だけでなく、適用を拡大して肝機能改善の薬として認可を受けます)。
「ラエンネック」はもともと、肝硬変が独立疾患
であることを確認したフランスの学者の名前です。胎盤エキスが、肝硬変に著効を示すことを発見したことから、この学者の名前をつけたとのことです。
そして1963年、より多くの患者さんにラエンネック注射液を提供することを目的に、株)ラエンネックを設立します。
当初は、久留米の廃業した醤油工場を買い取ってラエンネック注射液の製造工場にしましたが、廃液が庭の池に流れ込むよう
になっていたそうです。ところが、その池に住んでいた鯉がマグロのように大きくなって稗田博士をはじめスタッフ全員、
胎盤エキスの威力に改めて驚かされたといいます。
なお1970年から、この(株)ラエンネックは、(株)日本生物製剤に製造・販売が受け継がれ、
現在に至っています。

旧ソ連邦の医学者フィラートフ(1933年)は、「生体組織(細胞)は、その生活をおびやかすような外的因子(例えば2~4℃というような低温)の作用するとき、 組織の中には、生物学的過程を刺激する物質-生物原刺激素-が産生される」という仮説をたて、これを「組織療法」として応用しました。
メルスモンは、この「組織療法」製剤の一つで、更年期障害、乳汁分泌不全の治療薬(薬価収載1959年)として長い歴史をもつ薬剤です。 国内の、感染のないヒト胎盤を原料とし、多種のアミノ酸を含有しています。ホルモンは含有しておりません。酸で加水分解し、 最終減菌(121℃/30分間)するなど、感染症に対する安全対策を講じていますが、未知のウィルス等の危険を完全に排除することは困難です。 これまで、細菌やウィルス等による感染の報告はありません。